ネトウヨ大百科掲示板 361803

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コロナ下でもちゃんと語ろう憲法9条論

1:普通じゃない日本人 :

2020/06/19 (Fri) 09:04:33

憲法9条について語るスレです
11:大百科初心者 :

2020/06/21 (Sun) 21:28:05

>>10
普通でない日本人さんは改憲派なのですか。

まあ私とて、自分自身を護憲派に位置付けはしたものの、『9条の規定ぶりに限っては、国際情勢に対応できるよう変えた方がよい』と述べているわけですから、『一言一句たりとも、憲法はいじらせない』という人からは、『護憲派を名乗るな』とか言われるのかもしれません。


>>4
『戦前の歪みの全てを戦争に帰結させるのには無理がある』とおっしゃっているのですが、私はそれとは別の言い方で表現してみたいと思います。多分同じことを言っているのだとは思いますが。

つまり、『帝国陸軍は、戦前の日本に存在していた国内(内地)の矛盾を一挙に解決しようとして、満州国を建国した』『満州国を維持・死守するために日中戦争(日中戦争は、満州事変とは異なり、日中のどちらが先に仕掛けたかは不明)に勝とうとしたが、日本陸軍自体が、その目的や着地点を見失い、いたずらに戦線を拡大するしか能がなく、最終的に自滅した』『戦争は、一旦始めてしまうと、なかなか終わらせるのは難しい。どうしても始めなければならない理由があったり、不可抗力の形で始まってしまうこともあるかもしれないが、その場合ですら本来なら、始める前に<終戦のやりかた>や<戦後処理>までをイメージし、計画しておくことが必要だ。しかしそもそも、そういうことは極めて困難であるため、開戦を避けるのが、間違いなく最善策である。特に破壊力が余りにも大きく残酷な、近現代の戦争においては。』


いわゆる15年戦争(満州事変〜第二次世界大戦/太平洋戦争)の前の日本は、第一次世界大戦時の好況が終焉したこと・関東大震災・世界大恐慌・世界中が欧州列強によりブロック経済化され、ひとり日本だけが取り残されたこと…と次々と大きな試練に見まわれていました。ただでさえ実力以上に背伸びして、対外的には一等国クラブの一員(例えば国際連盟の常任理事国)として振る舞おうとはしていましたが、その内実、都市部は長期にわたる不況トレンドに喘ぎ、農村は地方・年によっては大規模な飢餓が生じるというような困難な国内事情が続いていました。また貧富の差(一部の人への富の集中)は現代より著しいうえに、福祉も脆弱であったという事情もありました。国内事情は、現代にも増して矛盾だらけだったわけです。

その矛盾を一挙に解決するための方法として、満州国建国とは、大日本帝国には必要悪であったのだと思います。無論今の価値観からすればそのような行動(特に鉄道爆破を偽装するなどの国際的背信行為)は許されないのですが、当時なら世界中で行われていたといえなくもないものです。ここで私の歯切れが少し悪くなる理由は、満州事変が起きた1931年の時点では、既に第一次世界大戦後に提唱された『民族自決主義』の考え方が、少なくとも『欧州においては』『スタンダードな価値観』となっていたため、それを中国にもあてはめるなら(現代なら躊躇なくあてはめるだろうが、当時は別の強国の論理がまかりとおっていた)中国領土の内部に日本の傀儡国家を建設するのは非難されてもやむを得ない時代に既に変わっていたからであり、また植民地経営についても、英国ですら黒字をあげることが徐々に難しくなりつつあった(投資効率が下がってきていた)ことなどから、欧米諸国は植民地拡大化のトレンドから手をひいていたからです。あのとき既に、世界分割はほぼほぼ終焉していたのだといえます。

しかし、帝国主義の競争に最後に加わった日本は、まだプレイヤーから降りていませんでした。

また、ソ連に対する防衛の最前線として、当時の大日本帝国の目線からすれば、満州は必要不可欠なものであったことは明らかです。ただ、あれほどの人命とコストを散らしてまで守る価値はなかったというのは、今でこそわかることですね。

更に日露戦争の結果手に入れた満州鉄道の経営も、周囲が中国領土である間は、様々な経営妨害的な工作などがあり、なかなかうまくゆかなかったという事情もあるようです。

だから、まず満鉄の経営を磐石なものとし、国防の最前線を満州に定め、広大な土地を日本人のために使う(そして入植者に最前線防衛の一端を担ってもらう)ことで内地の問題を一挙に解決しようとしたのだと思います。無論これは後付けの理由ではありますが、大きくはずれてはいないと思います。

しかし日中戦争が本格化してからは、当時の陸軍は、『戦を以て戦を養う』といわれたとおり、ひたすら戦線を拡大し続け、最終的に何を目指しているのかもわからなくなりました。当時、陸軍にとっての最優先事項は『陸軍の存続と活動の正当化と予算の獲得』であるという状況に堕ちてしまったとみています。一方海軍の方は、陸軍よりましな統制システムがあったようですが、自己正当化を最優先する点では同じ穴のムジナでした。

さらに帝国議会は、『戦線の不拡大』をなんども議決しましたが、当時はシビリアンコントロールなどはなく、軍は天皇に直属しており、なおかつ、昭和天皇の周囲は軍におさえられていたことから、帝国議会の議決は完全に無視されました。戦前のデモクラシーの限界は、ここではっきりと露呈しました。

そして、満州は日本列島より北にあり寒冷な地ではありますが、土壌は日本より肥沃だったことと、広い土地で農業機械を入れた大規模農業ができたため、入植者は内地にいたときよりはまともな生活ができるようになったことも無視できません。入植者は、一時的には豊かになったわけです(ソ連による侵攻・殺戮と日本の敗戦による引きあげでは、オセロの駒が反転するごとく、運命が暗転してしまいましたが)。


このように、国内(内地)の矛盾を解決するために、戦争の深みにずるずる引き込まれたわけですが、ごく一時的には矛盾が解決したかにみえたわけです。

しかし当然、当時の中国は負けていなかったし、本来なら日露戦争のときの如く丁度よいタイミングでの仲裁の労を頼みたい相手ですらある大国 米国の権益まで(南方進出で)侵して米国の逆鱗に触れてしまいました。石油禁輸・ハルノート・対米戦争にまで至ってしまいました。

一時的な矛盾解決を優先させるあまり、国際的にはより大きく解決困難な大矛盾を抱えてしまったわけです。戦争の怖さはここにあると思います。

戦争が一旦始まってしまえば、それを終了させるのは極めて難しいことであり、なおかつ、戦勝や戦争遂行を最優先せざるを得なくなる結果、国内にある諸々の問題解決も、全てが後回しになってしまうということがあります。

だからこそ、平和主義は必要なものであり、それを世界の事情をよく見ながらどう貫くかは大事なことだと考えます。

ただし、『平和主義』が『外国=性善説』と同化してしまっているのが、現行憲法9条の規定ぶりであり、外国(少なくとも北朝鮮や中華人民共和国やロシアや韓国など)は善良な市民の如く振る舞うわけでは決してないので、一部は手直しすべきだと考えるわけです。

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